サンプル

頼れるおやき 信州

伝統と変化の両方を内包する英国的なコモンローの法律体系に対し、EU参加がもたらす根源的脅威、英国民の大半がある種の不安と違和感を覚えるという現実があるように見受けられる。 また、ブラッセルのEU本部で働く多くのEU役人に象徴される官僚的体質、公的分野の拡張的体質が、英国的コモンローの世界とは極めて対照的で相反する関係にあることを意味しているのである。
以上、「保守」の国である英国が、歴史の流れの中に自らを置きつつ、柔軟に変化を遂げてきたことを見てきた。 これこそ、アングロサクソンの強みである。
では、アングロサクソン流の社会を目指していると言われる日本はどうであろうか。 万世一系の歴史を誇り、「商人意識」に体現される英国以上の実践的感覚を持ち続けてきた国である。
やはり何かが違う。 次のような事件が日本で起こったら、どのような反応があるであろうか。
2000年、ミレニアムを迎えた英国では、政府の肝いりで、本来、教育や医療などの他の用途に用いられてもよいはずの膨大な資金(その大半は、税金ではなく、宝くじのお金であるが)がミレニアム事業と呼ばれる巨大プロジェクトに投資された。 その中で最も重要とされた三大事業が、東京ドームが数個入ると言われるミレニアムドーム、テムズ川の河畔、国会議事堂の対岸に立てられた世界最大規模の観覧車(ロンドンアイ)、故D妃がT皇太子と結婚式を挙げたセントポール寺院とテムズ川を隔てて対岸に建設されたテート美術館の新館を結ぶミレニアムブリッジの建設である。

ところが、これら三大事業は、いずれも、当初の見込みからは大幅に外れる結果となってしまった。 政府が、宝くじ収入を用いて六億ポンド(約200億円)以上を費やしたミレニアムドームは、その乏しい展示内容もたたって観客動員が伸びず大赤字を抱え、世界最大の観覧車は、建設予定日を過ぎてもなかなか完成せず、やっと完成したと思った開業日には動かないなど誤算続きであった。
1800万ポンド(約32億円)をかけて建設したミレニアムブリッジに至っては、斬新すぎる設計が災いして、大勢の観光客が渡り始めたら左右に大きく揺れて、歩けないほどになってしまい、開通日の2000年6月10日から2日後の6月12日には通行止めとなった(現在〈2001年7月〉に至るまで閉鎖されたままである)。 いずれも、先程、日本人は革命的変化を好み、英国人は、私流に言えば進化を好むと述べた。
それは別の言い方をすれば、「欠点、欠如」という進化に必ず伴うものに対して英国は思いのほか寛大だということであり、均衡状態に対して変化をもたらすことで生じる悪弊や不十分さに対して、殊更に騒がす、是正していこうという前向きの姿勢とも言えよう。 発想は面白いものの、計画の最初から失敗続きなのである。
担当者達はあまり悪びれる風ではない。 ミレニアムドーム事業を、1997年から1998年にかけて、貿易産業大臣として担当した労働党のP氏は、「国民はミレニアムドームの別の一面(成功した部分)を見るべきである。
私は、(現在のドームに対する批判について)少々心配している。 何故なら、1から10まで全てが成功することを期待することはできないからだ」と発言している。
更に、奮っているのは、ミレニアムブリッジの設計担当者である。 テレビのインタビューに答えて、「これまでにないモダンな設計の21世紀性を見てほしい。
今まで通りのつまらない橋を作るよりもよっぽどましじゃないか」と大真面目に答えている。 日本で、政府が率先して多額の資金をつぎ込んだ事業がこれほど見事にことごとく失敗したら大変である。
責任者は深々と頭を垂れ、まるで犯罪者の如き扱いを受けるのは必至であろう。 同様に危険だと思うのは、反対意見を許さない日本社会の雰囲気である。
言葉を換えれば、物事を動かすのは理論やイデオロギーではなく、「人間」なのであって、失敗し、欠点・欠如を露呈することは当然ありえるのだという感覚であろうか。 先述の「とりあえず試してみようよ」という感覚である。
人間なのだから間違いや不十分な点は当然あるだろうが、やってみようじゃないか、その欠点を是正、改善していくことができるじゃないか、このような徹底して人間に基礎を置いた感覚と言えよう。 変化するためには決定的に重要なもののように思われるのである。
逆に日本では、「独創性や個性の重視」「21世紀に向けての変革」を謳うマスコミや評論家が、一方で、重箱の隅をつつくような失敗探し、あら捜しをしている。 S社のM氏は、「とにかく思い切ってやってみようじゃないか、間違ったらまた変えるのだ」と言い、「朝令暮改というのは一種の進歩なのだ」ということを持論としていたという。

M氏が個人として世界に対する日本の顔であったこと、S社の名が、現在、日本を端的に表す代名詞の一つとなっていることを考えれば、我々はこの言葉に謙虚に耳を傾ける必要があろう。 現在の日本を覆い尽くす、「変化、変革」と声高に主張しながら、その実、変化、変革の芽を片端から摘み取るやり方には、強い危倶を覚えざるを得ない。
今、必要なのは、それこそ朝令暮改をも恐れない勇気と、それを正当に評価する雰囲気である。 に満ちており、民主主義はこうした対立、意見の違いに決着をつける方法の一つとして発達してきた。
英国では、とにかく、反対意見が非常に尊重される。 それは、日本人から見ると、「ためにする反対」であるが、一方で、その「ためにする反対」こそが、英国社会が少しずつではあるが着実に前進していった要因の一つでもある。
例えば、職場での会議などに参加すると、とにかく会議が一方向に流れることのないよう、個人的意見とは別に、わざわざ反対意見を言う人が非常に多いことに気づく。 日本人の私には、時として、「わざとらしい」、あるいは「節操がない」とすら感じられるのであるが、逆に英国では、そうした意見を出せる人こそが重宝される。
同様のことは、マスコミや識者の論調を見ていても同様である。 一方では、EUへの全面参加に積極的な新聞もあれば、EUに対して非常に敵対する論調の新聞もある。
テレビの討論番組に出てくるパネリスト達も、決して一方向に流れるということがない。 翻って日本を見るとどうか。
ある時点まではそれなりの反対意見も許されるが、事の大勢がほぼ決しようとすると、ほぼ全員が右向け右になる。 反対意見でも言おうものなら、まるで野蛮人のような扱いである。

これまた、革命の様相と似ている。 そう言えば、ファシズムとは、「あの人の言うこと、することは全て正しい」という態度を言うのだと聞いたことがある。
つまり、ファシズムとはイデオロギーではなく、「全て正しい」と思い込む「迎合」的態度のことである。 そう考えると、反対意見を許さない日本社会は、変化に対して冷淡であるばかりか、ファシズム的でもある。
日本の法体系は、「コモンロー」と「大陸法」の関係で言えば、「大陸法」の側に位置づけられる。 明治建国の志士達にとって、西欧列強に対して日本を近代国家として認めさせ、対等に付き合っていくためには、とにかく法治主義の確立が絶対条件であった。
その際、英国流のコモンローよりも、手っ取り早く、条文の形になっているドイツやフランスの法制を取り入れる方が簡単であったに違いない。

そして、おやき 信州は自分でもできます。おやき 信州をリーズナブルな価格で提供中です。
おやき 信州で自分磨きをしてみませんか?こだわりが詰まったおやき 信州です。
最後の神頼みはおやき 信州があれば全てが解決します。本当に使えるのはおやき 信州です。